競馬

サイレンススズカは異次元の逃亡者?天皇賞(秋)に出走し伝説に?

こんにちは。岡本です。
秋ですね〜。秋といえば、天皇賞(秋)!

無理やり突っ込んできましたが、競馬好きには、一年で最重要とも言えるこのG1レース。

私は1999年の天皇賞(秋)が忘れられません。そう、あの、サイレンススズカが逝ったレース。改めて、稀代の逃げ馬、サイレンススズカについて、語ろうと思います。

宝塚記念を制し、現役最強馬となる

「逃げる」

たいていの勝負の世界ではネガティブに響くかもしれない。

でも、競馬では立派な戦法の一つなのだ。普通、他の馬の存在を恐怖に感じたり、気性が荒く、馬群に留まれない馬が「逃げ」の戦法をとるのだが、サイレンススズカはそのどちらの要因でもなかったと思う。

3歳時はスタート前にゲートをくぐってしまったり、レースでは騎手の指示に従えなかったりして子供っぽいところがあって思うように勝てなかった。

しかし、鞍上に武豊を迎えてからは、レースで先頭に立ったままゴールを目指す「逃げ」の戦法を愚直に繰り返すことでどんどん勝ちを重ねていった。

そして遂に宝塚記念というグランプリレースを制するまでになる。

運命の天皇賞(秋)

競走馬として最盛期を迎えていた1999年秋。まもなく迎える天皇賞(秋)は前走のステップレース、毎日王冠で1歳下のG1ホース、エルコンドルパサー、グラスワンダーを破っており、断然の一番人気に押されていた。その、サイレンススズカがまさか、あんな結末を迎えるとは。

第118回 天皇賞・秋(G1)、平成11年11月1日でサイレンススズカは1番の馬番だった。僕はこれだけ1があれば絶対勝つでしょうとのんきに考えていた。

誰もサイレンススズカの勝利を疑わなかった。どのくらい他の馬を引き離して勝つのか。東京競馬場の15万人の観衆の興味はそれだけだった。

ついに、レースの発送を示すファンファーレが高らかに東京競馬場に響きわたる。レースを待ちきれない観客の手拍子が地鳴りのようだ。

「ガッ、チャン」

ゲートが開いたのと同時にサイレンススズカは飛び出た。出足のスピードが速いサイレンススズカはぐんぐん加速し、あっという間に馬群の先頭に躍り出た。馬群は見たこともないような縦長になり、テレビの画面に全ての馬が映りきらなくなった。

「うお、すげえ〜!、どんどん後続を引き離していく!」

「やっぱりサイレンススズカは最強だ!これは圧勝だ!」

「これは凄いレコードタイムが出るっ!」

多くの人がそう思った。

しかし、最終コーナーに入りかかった瞬間、信じられないような光景が広がる。

サイレンススズカがコースを外れていく。下馬する武豊。

悲鳴のような声が競馬場を包む。

「故障した!?」

「サイレンススズカ、競争中止!?」

スタートから69秒後だった。

サイレンススズカは自身のあまりにも早いスピードに足の骨が耐えきれずに骨折してしまったのだ。

骨折は重症だった。
競走馬にとって足の骨が折れることは他の動物よりも生死に関わることだ。サイレンススズカはレース終了後、安楽死の処分を受けた。

関係者にとって、ファンにとって痛恨の出来事となった。

類まれなスピードによる問答無用の快速で多くの人々を魅了した栗毛の逃亡者。

圧倒的なスピードで逃げまくる馬が登場してくると、ついついサイレンススズカの姿をだぶらせてしまう。

まとめ

「逃げ」

昨今の競馬ではなかなか目にすることがなくなってきたが、その玉砕覚悟の一か八かの戦法が大好きだ。

たいていの馬は最後の直線に入るとバテてしまい、後続の馬に抜かれてしまうのだが、たまに、最終コーナーを過ぎてもぐんぐん加速してゴールする馬もいる。そのときの馬と騎手にはお見事! と言ってしまいたくなる。

勇気ある戦法をとった騎手、最後まで走りきった馬は僕にとって「勇気ある逃亡者」なのである。