こんにちは!オカモトです。
最近、Vガンダムを見直しました。
うーん、改めて見た感想としては、なかなか辛口な評価となりそうです。
Vガンダムは主人公が13歳と歴代シリーズ最年少なのに、内容は陰気で封建的。シュラク隊はじめ女性キャラが死にまくり、良かったのはV2ガンダムがカッコ良かったことと富野監督の独特のセリフ回しがおもしろかったことくらい。#ガンダム pic.twitter.com/4FyQBEvyrT
— オカモト (@luckyroom_502) March 16, 2020
Vガンダムの感想レビュー
ヨーロッパが舞台となった珍しいガンダム作品ですが、もうちょっと分かりやすい話だとよかったかもしれません。
ギロチンとか女性の怨念みたいなことが話のメインになってきちゃうのでどうしてもドロドロしちゃうというか。
主人公や周りの少年少女たちが若かっただけに富野監督の伝えたいメッセージがきつすぎる気がしました。
あのテーマだったら主人公はもう少し大人の方がよかったんじゃないかな~。
あと、敵キャラがあんまりかっこよくないので、戦闘シーンに熱くなれず。
主人公ウッソのライバルクロノクルが最後に乗るリグ・コンティオとかもうちょっとカッコよくならんかったのか。。
V2ガンダムはカッコいいけど、最終形のV2アサルトバスターはゴテゴテ感ありまくりで微妙でした。
よかったのは、Vガンダムの変形機構が決しておもちゃ(ガンプラ)向けに採用されたものではなく、戦術的な意味があったり、主人公ウッソらの発する独特の富野節のセリフがおもしろかったことです。
Vガンダムの最終回ネタバレ解説!
冬が来ると、訳もなく悲しくなりません?
-カテジナ・ルース(機動戦士Vガンダム)pic.twitter.com/oPbYggfL6w— 哀戦士 (@gundam_media) May 27, 2020
とまあ、いろいろ思うことがありながら最終話まで見ました。
最終話の最後のシーンはガンダム作品の中でもかなり異色の内容になっていて注目です。
ネタバレすると、ウッソの憧れであったきれいなお姉さん、カテジナは敵のザンスカール帝国の思想にハマり、ことあるごとにウッソの行く手を阻み、最終的には失明、記憶喪失のようになります。
カテジナさんは最終的に失明、記憶喪失となったという意見が多いですが、富野監督は一切そのようにコメントしてないんですよね。
ただ、富野監督はカテジナに「死よりも重い罪を与えたかった」そうなので、失明し、記憶喪失になったのはかなり有力です。
でも、ヤフー知恵袋でこんな意見がありました。
記憶喪失していたら、それはそれで彼女にとって幸せなことだったかもしれません。
それは監督自身の「死よりも重い罰を」というコメントとは矛盾するように思います。
だって、記憶がなければシャクティと再開しても(少なくとも彼女にとっては)何の問題もないわけです。
あの場面、当初盲目になったカテジナは、川で洗濯をする少女に道を尋ねます。
道を教えるよりも、快くオートコンパスを取ってくる少女。
彼女は、まだ言葉を覚え始めたばかりの赤ん坊に名前を尋ねます。
赤ん坊は「カルル!」と応え、ここで初めて彼女が話していた少女がシャクティだと知るのです。
一方、そのシャクティはカテジナをカテジナとわからない筈がありません。
しかし、気まずすぎる再会をするよりも、お互いを最初から見知らぬ者同士として別れることを両者は決めました。
しかし、一瞬カテジナが虚ろな態度を取ります。
「どうかしたのですか?」と心配そうに彼女を見つめるシャクティに、苦し紛れに、「冬が来るとわけもなく悲しくなりません?」と問いかけ、シャクティもまた「そうですね」と当たり障りのない返事をして、二人は別れます。
そして、変わり果てた現在のカテジナと、彼女の未来を憐れむ意味で、シャクティは涙を流し、カテジナもまたかつて醜悪さをさらけ出し、今の姿を見られたことに対する屈辱から涙を流します。
なぜシャクティはカテジナを引き止めなかったか?
最後にウッソの幼馴染のシャクティとカテジナは始まりの場所カサレリアで出会い、少し会話を交わして別れるんですが、シャクティは何で敵になったカテジナに怒ることなく接したのか、ウッソたちにカテジナが来たことを伝えなかったのか分からなかったんですが、色々調べるうちに理解することができました。
カテジナはウッソとシャクティとの戦いに敗れ、無残な姿となります。
盲目となり、ぼろぼろの服を着ています。
そんな敗者である自分の姿を、勝者であるウッソやシャクティに見られたいでしょうか?
プライドの高いカテジナとしたら、これは大変な屈辱なはずです。
シャクティはそれを慮りカテジナを気遣ったからこそ、ただの旅人として扱い、名乗ることをしなかったのだと思います。
あの状況で「生かされている」ならいっそウッソとの最後の戦いで死んでいた方が楽ですし、死なせてやった方が慈悲というものです。
そうしなかったのは、やはり、カテジナは「死よりも重い罰を」受けなくてはいけなかったのでしょう。
ヒロインでもあるキャラクターが最後にこんな無様な姿になるガンダム作品はないので、非常に印象に残りました。
この後のカテジナについては、描かれていませんが、僕は遅かれ早かれ死を迎えたのではと思います。
もう生きる希望が彼女にはありませんし、新たな出会いがあったとしても不自由な身では、なかなか残りの人生を楽しめなかったのではと思います。
ちなみに、小説版では大怪我を負って強化人間にされた上に無事(?)戦死しています。
「冬になるとわけもなく悲しくなりません?」
という最後のカテジナのセリフは自らの死を覚悟したセリフだったのかもしれません。
まとめ
Vガンダムはガンダム作品の中では、出来が悪かった部類に入ると思います。
ただ、最終話のヒロイン同士の会話は読み解くとなるほどと思うことが多く、それまでの不満を多少和らげるくらい、戦争における勝者と敗者の内面を表した深い内容となっています。
人によってはおもしろいと感じる場面も多数あると思うので、興味がある人はぜひ、見てみてください。
悲惨な最後を迎えたヒロインとは対称的にウッソたちはヨーロッパの東部の静かな田舎で平和に暮らしていったと思われます。
クロスボーンガンダムの続編、クロスボーンガンダムDUSTでは、ウッソたちの時代の先が描かれていますが、ウッソがまだ若いことを考えると、これらの作品に登場したり、Vガンダムの続編で成長したウッソの姿を見てみたいところです。
遠くない将来、Vガンダムの前後の時代で新たなガンダム作品が誕生すると思うので、その時までにぜひ!